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大阪地方裁判所 昭和30年(レ)151号 判決 1958年2月06日

控訴人 北浦信太郎

右代理人弁護士 西橋儀三郎

被控訴人 伊賀佳樹

右代理人弁護士 黒田常助

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

振出人として訴外北川信次(布施市上小阪一〇一一番地)の記名捺印ある被控訴人主張の本件約束手形が、昭和二十九年四月二十日訴外鳴門工業株式会社に宛て振出されたことは当事者間に争がなく、その裏面の真正に成立したことにつき争のない甲第三号証が被控訴人の手中に存することにより、右手形が右受取人会社より被控訴人に裏書譲渡されたことは明白であり、又その成立に争のない右甲第三号証表面補の記載によれば、右手形が適法な呈示期間内に支払場所に呈示されたことが認められ、その支払が拒絶されたことは当事者間に争がない。

次に、右手形が果して被控訴人主張の如く、控訴人の無権代理行為によつて振出されたか否かにつき審按する。真正に成立したと認めることができる甲第二号証の一、二、四と、成立に争のない同号証の三、及び原審証人小野啓太の証言、並に当審証人北川信次の証言、控訴人本人尋問の結果を綜合すれば、控訴人と訴外北川信次は戦友として旧知の間柄であり、かつ戦後訴外東京証券金融株式会社が布施市に新設した同会社の出張所に共に社員(外務員)として勤務し、北川は同出張所の地位にあつたが、同人は別に個人として他に団体旅行会を主宰し、控訴人も同会の運営にも協力していた関係上、控訴人は北川のため同人の個人用の印鑑(銀行届印)を使用していたこと、(この点につき、控訴人は、控訴人が北川より印鑑使用を一任されていたから、本件手形振出行為は表見代理行為であると主張するけれども、印鑑の使用を一切委任せられていたとの証拠はなく、又単に内部において印鑑を使用していたという事実があつても、これを以て手形振出権限の存在を本人たる北川が外部に表示したことにはならないから、表見代理の主張は採用できない)その頃、右北川に対し訴外小野啓太が控訴人を通じて、塗装事業資金の融通方を申入れ、北川はこれに応じて、さきに約四、五十万円前後の金員を小野に貸与し、また本件手形の前に、控訴人は、小野に対する金融のために、北川を代理して北川名義の金額七万円の約束手形一通を振出し、北川の承認を得た上控訴人と小野の資金でこれを決済したことがあつたところより、右小野よりさらに控訴人を介して北川に対し手形による金融の申入があり、折柄北川は不在中であつたが、急を要するので、控訴人において、北川に事後承認を得る意図の下に、前記北川の印鑑及び同人の記名スタンプを無断使用し、同人を振出名義人とする額面金十万円の本件手形(前掲甲第三号証)を作成(支払期日、振出日、受取人欄のみ白地のまま)して小野に交付し、同人より受取人鳴門工業株式会社に交付されたことをそれぞれ認めることができ、前掲甲第二号証の四及び当審証人北川信次の証言のうち、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。以上の認定によれば、本件手形は、控訴人が、訴外小野より訴外北川に対する同人振出名義の手形の貸与方の申入を受け、右北川のために、その追認を得る意図の下に、北川名義の手形として作成されたものに外ならず、控訴人自身の用途のために訴外人たる北川の名義を冒用すべき事由も必要もなく、又その意思も存しなかつたものであるから、之を要するに、本件手形はいわゆる無権代理行為によつて振出されたものということができ、又かくして作成された前掲甲第三号証の振出人欄には、代理人たる控訴人自身の署名及び代理資格の記載なく、本人たる訴外北川の名義が直接に記名捺印されていることが認められるから、右の代理は、いわゆる署名代理の方式に依つたものであることが明白であり、結局右手形の振出は、いわゆる無権限の署名代理(又は記名捺印代行)に該当するものといえるのである。

次に、右にいわゆる無権限署名代理が、果して法の定める無権代理行為といい得るか否かについて検討する。

先ず、いわゆる署名代理について見るに、署名なるものは、本来は自署を指し、最も個性的なものであり、従つて当然非代行性のものではあるけれども、およそ手形行為について、署名が本来自署を必要とする理由を考えてみるのに、一方において、手形はその設権証券及び文言証券としての特性を有するから、手形上に署名をする者は、手形債務の発生を特に阻害する事由のない限り、右の署名行為を原因として手形文言の通りの義務を負担しなければならないものであるから、署名はその行為者自らをしてこれに当らしめ、もつてその行為の法的意味を自覚せしめることにより、その意思の決定表現を慎重ならしめる(いわば主観的規制作用)に在ると共に、他方において、署名自体の個性的性格により、手形取引関係者をして手形行為者の真実性同一性を確認せしめる作用(いわば客観的確認資料)を営ましめるに在ると解せられるのであるが、右の主観的規制作用については、手形行為者本人が自己名義の手形の作成を欲し、かつ手形作成行為の法的意味を充分認識している場合にあつては、特に右の目的を達するために自署を絶対に必要とするものではないのみならず、他人たる代理人が署名した場合、殊にその者が予め本人の意思に基くことなく、無権限で代理人として手形に署名した場合においてさえも、本人につき右の規制作用が存しないに拘らず、代理人の手形行為の効果を本人に帰属せしめる(追認)権利を肯定する場合がある訳であるから、右の主観的作用のために自署を要求することは到底絶対的意味を持つものとはいえない。又手形行為者の確認方法としてこれをみても、行為者が署名に当り必ずしも自己が常用する特有の筆跡を用いることは法によつて要求されず、またかような筆跡を予め取引先に周知せしめる手段を採る訳でもなく、殊に我が国の取引界において我国人が手形署名をする場合においては、殆ど例外なく署名のほかに捺印(しかも拇印でなく印章を用いるもの)を添加結合し、署名よりむしろ印影の個性(取引銀行等における印鑑届出制度など参照)を重視し、(同時に、前述の主観的な慎重性の表現をもこれに期待していることは見易いところである)行為者の真実性の識別に資している実情に徴するときは、この目的のための自署も、決してその本来意図された効果を発揮しているものとはいい難く、これがための自署の要求は、これまた絶対的なものとはいえない。従つて少くとも現今、わが国の手形法において、手形行為の方式として要求される署名の意義は、絶対に自署であることを必要とせず、他人をしてこれを代行せしめること、即ち、他人をして直接に自己の名称を署(手記)せしめること(署名のみを切離して、事実行為としてのみ見れば、これは一種の行為者本人の表示機関としての行為として、行為者自身の行為と同視されることになるが、かような見方を採るべきでないことは後に述べる通りであるから、署名代行は常に表示機関としての行為に該当するとは限らない)をも含むものと解して差支ない。また記名捺印は、本質的に行為者自身の行為であることを要求していないから、当然他人によつて代行され得べく、この点において、署名と記名捺印との区別は存しないということができる。

次に、手形行為は証券による要式行為であるから、手形行為の実質たる行為者の意思表示は、証券なる書面上に文字によつてのみ表現され、各種の意思表示は、それぞれに相当する様式の文言と、これを自己の行為として是認、裁可する意思表示主体の名称の記載としての署名によつて完結する。従つて、手形行為における署名を、それのみ切離してその法律上の性質を論じ、これを常に事実行為として取扱うことは、恰も口頭による意思表示の主格を構成する言語のみを切離して、それが発声であり、事実行為であると論ずると等しく、法律上全く大した意味を持たないということができ、強いてこれを採り上げるとすれば、証券的意思表示としての手形行為の主体を表現するものとして、意思表示の一部分であり、その完結(又は完成)行為であり、従つて、当然、他の部分と結合して法律行為としての性質を有するものといわねばならない。この意味において、前述した署名(及び記名捺印)の代行は、他の手形文言の記載を含んで、他人によつて代理せられ得る法律行為たる手形行為の代理として優に成り立ち得るものということができる。

次に、その代理方式即ちいわゆる顕名主義との関係を見るに、商事において顕名主義の適用を排除する商法第五〇四条の規定が文言性を重視する手形関係について、いかなる程度に適用され、或いはその適用を排除せられるかについては、旧商法第四百三十六条「代理人ガ本人ノ為メニスルコトヲ記載セズシテ手形ニ署名シタルトキハ、本人ハ手形上ノ責任ヲ負フコトナシ」との規定のほか、特に準拠すべきものはないけれども、右法条又は民法第百条にいわゆる「本人のためにすること」を示す方式として通常考え得られる代理人の表示、本人の表示、代理資格の表示の三要素のうち、その行為の効果を本人に帰属せしめることを表示する点において欠くことができないのは、右の本人の表示であつて、この表示を欠き、単に代理人の表示のみ存するものは、全然本人との関係、否その存在すら外形上窺い知ることができないから、その行為の効果を本人に帰属せしめることについての表示上の根拠を全く欠くという理由によつて、その効果を絶対的に(文言性の徹底)本人に及ぼし得ないのであつて、前記旧商法の法条もこの旨を規定した(そしてまたこれ以上の趣旨は規定しない)ものと解され、文言性を徹底せんとする手形関係においても、代理関係の表現の必要最小限はこれによつて充たされているものと考えて差支なく、これ以上の代理関係の表示を要求する法の根拠も存在しないから、署名(記名捺印)代理(他の手形文言を含んで、以下同様の意味に用いる)は手形行為の代理方式としても適式のものということができる。以上の如く、署名代理もまた、適式な手形行為の代理たり得るとすれば、代理人として本人名義の署名をした者が代理権限を有しない場合、即ち無権限署名代理の場合は、必然的に無権代理とならざるを得ない。そしてそれは、外形上は偽造と区別することは極めて困難であるが、無権代理人があくまでも、本人(代理人からいえば他人)のためにするものであること、即ち本人にその実質的効果を帰属することを目的として本人名義の署名をした点に、代理性又は他人性の存在があり、名義と効果の指向された観念的一致を認め得るのに反して、偽造は、偽造者のために他人たる被偽造者(本人)の名義を利用(冒用)したものに外ならず、右にいわゆる代理性又は他人性を全く欠如し、両者は行為者の意思に於て全く相反するものがあるから、これを同視ないし混同することは、表示主義ないし文言性の形骸に捉われて、法律行為の核心たる行為者の意思を全く没却、無視するものとの批難を免れないであろう。これを反面からいえば、手形行為における署名の持つ意義は、他の手形文言と共に、先ず第一に手形証券の形式を具備することに在るが、当該署名によつて完結される手形行為がその形式通りの効力を署名者本人に帰属せしめるためには、それが本人の意思に基いて(本人自ら又は代理若くは代行により)為されたという実質がこれに伴わなければならない。即ち形式の完備のみでは本来手形行為は効力(行為者本人に対する関係において)を生じないのである。無権代理には、本人が代理人と呼応して、これを利用するためにその行為がなされたという基盤があり、本人の意思を招致する可能性として法律上評価されるものが存在するけれども、偽造は、単に外見上これに類似するというのみで、本人の意思とは本来無縁のものであるからである。

続いて、右無権限署名代理に対する手形法第八条の適用の有無を検討するに、同法条は、代理権を有せざる者が「代理人トシテ為替手形ニ署名シタルトキ」は本人と同一の責任を負うものと規定され、一見無権代理人自身が代理人としての署名、即ち代理資格を表示して自己自身の署名をした場合にその適用が限定されるが如くであるけれども、元来手形の文言性が強調せられる所以は、主として正常の手形取引における手形取得者の正当な権利の保護と手形債務者の正当な義務の限定とのために在るのであるから、手形面に現われた手形債務者がその義務を負担しないという異常な場合において、かような事態を作出せしめた無権代理人に対し、補充責任を課するための規定として特に設けられた右法条の主旨に徴するときは、かような補充責任の負担者の利益のために、殊更に前記の如くその必要最小限の遵守されている文言性をそれ以上に強調し代理人自身の署名と代理資格それ自体が手形上に表示されている典型的無権代理行為のみにその適用を限定することは、むしろ取引安全保護の趣旨に副わない憾があり、この点において無権限署名代理を右の通常の無権代理と区別して取扱わねばならぬ実質的理由は認められない(そして手形取引における異常現象の場合に、必ずしも厳格な文言性のみによつて業務者の責任を限定しない事例として、手形法第六十九条後段の規定が存することも参照せられて然るべきである。)から、右手形法第八条に代理人として署名したときとあるのは、代理人が代理人として直接本人の署名をした場合をも含むものとし、即ち、右法条は本件の如き無権限署名(記名捺印)代理の場合にも等しく適用せられるものと解するを相当とする。そして、かく解することによつて初めて、無権代理の場合には無権代理人に手形法上の責任を課し、偽造の場合には偽造者に不法行為上の責任を課するという各場合に応じた法理の適用により、手形権利者の救済を所期し得ることになるのである。

よつて本件事案に就て見るに、本件手形は控訴人が本人たる訴外北川信次のために無権限にて手形振出要件を記載して同人の記名捺印を為し、以て無権代理手形振出行為をしたことは、さきに認定した通りであり、右手形につき本人たる北川の追認を得なかつたことは、前掲証人北川信次の証言に徴し明白であつて、右手形の取得に際し、無権代理行為の介在しているという事実の認識につき被控訴人が善意であつたことについては、弁論の全趣旨に徴し控訴人において明らかに争わないものと認められるから、無権代理行為者たる控訴人は、手形所持人たる被控訴人に対し、本件手形金の支払義務あるものというべく、一部弁済の抗弁については控訴人の何等立証しないところであるから、右手形金十万円と、これに対する本件訴状送達の翌日たること記録上明白な昭和三十年三月十八日以降支払済に至るまで、年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人の第一次的請求は正当であるから、その余の請求につき判断を省略し、右請求を認容した原審判決は、その理由を異にするも結局において正当であるから、本件控訴を棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条第二項、第八十九条、第九十五条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 宮川種一郎 裁判官 松本保三 右田堯雄)

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